伊勢神宮・全国の主な神社

伊勢神宮について

伊勢神宮とは

「お伊勢さん」とか「大神宮さん」などと、親しみをこめて呼ばれている伊勢神宮は、本来は単に「神宮」というのが正しい呼び方です。
神宮は、国民すべての御祖神(みおやがみ)でもある天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする皇大神宮(こうたいじんぐう:内宮)と、私たちの生活に欠かすことの出来ない衣食住の恵みを与えてくださる豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りする豊受大神宮(とようけだいじんぐう:外宮)の二つの宮を中心に、十四の別宮、百九の摂社・末社・所管社を含む百二十五社から成り立つ、日本で最も大きな神社です。

宮中でお祀りされていた天照大御神を、第11代垂仁(すいにん)天皇の御時に伊勢の地へお祀りして以来、約二千年もの間、いつの時代も皇室の弥栄(いやさか)、国家の安泰、国民の平安を祈るお祭りが続けられてきました。
神宮では、年間に数多くのお祭りが斎行されますが、その中でも新穀を奉げる神嘗祭(かんなめさい)は最も大切なお祭りとされています。

伊勢神宮と全国の神社との関係

伊勢神宮の御祭神である天照大御神は皇室の御祖神(みおやがみ)として貴い存在であるとともに、常々我々国民をお守りくださっている日本の総氏神さまであり、全国で約八万社ある神社の中でもその根本となるお社です。
しかし神社の場合は、寺院などに見られるような本山末寺といった上下の地位を表す関係ではありません。

現在、全国の神社の多くは神社本庁のもと、各神社ごとにそれぞれの神々を祀り、お祭りが厳粛におこなわれるようにつとめています。
また、全国の神社の総意に基づき、伊勢神宮を格別なる存在として、神社本庁が本宗(ほんそう)と仰ぎ、全国の神社の振興を図るための諸活動がなされています。
氏神さまはその土地や地域を護る神さまですが、伊勢神宮は日本全国を護る総氏神さまとなりますので、伊勢神宮のお神札は神棚の中央にお祀りします。

伊勢神宮の式年遷宮

遷宮(せんぐう)とは「宮うつし」の意味で、新しい神殿を造り、そこに神さまのおうつりを願うことです。
式年とは「定めの年」の意味で、神宮では二十年に一度とすることを千三百年前に天武天皇がお定めになり、持統天皇四年(690年)に第一回の式年遷宮が行われ、平成五年には第六十一回目のこの国家の重儀が天皇の思し召しにより、国民の尊いご奉賛をもって行われました。

伊勢神宮の社殿は掘立柱(ほったてばしら)に萱(かや)の屋根という、素朴な桧の白木造りです。
第一回当時、すでに法隆寺が造られており永久的な建築が可能でしたが、神代からの伝統を重んじ、神さまの最もおよろこびになられる殿舎としてこの建築様式が選ばれ、今日に引き継がれたと考えられます。
神道では浄明正直(じょうみょうしょうじき)、つまり清く明るく、直(なお)く正しくうるわしい心を大切にしていますから、神さまのおはします神殿も常に清々(すがすが)しくあることを理想とします。

古代の人々は神さまも万物も、命が親から子へと引き継がれていくように、生まれ変わると考えました。
二十年を一つの区切りにしたのは、それが人の一生の中でも、建造技術や調度品、祭器具などの製造技術の伝承の面からしても最もふさわしい節目となる年限であったのです。

神宮大麻

神宮大麻とは伊勢の神宮から年毎に全国に頒布されるお神札のことです。
神宮大麻がいつ頃から頒かたれるようになったのかは明確ではありませんが、平安時代末から鎌倉時代にかけて、御師(おし)という、神宮に仕えた祠官より配布された「御祓(おはらい)大麻」が始まりであるとされています。

御師たちは神宮の神領を中心に全国各地へと赴き、神宮の崇敬を一般に広めるとともに、「檀那(だんな)」「檀家(だんか)」と呼ばれた崇敬者の御祈祷をし、その「しるし」として御祓大麻と呼ばれるお神札を授与しました。
この御祓大麻とは、お祓いをした大麻(幣帛)を箱型の箱祓や剣先の形をした剣御祓に納めたものです。
また「数祓」といって幾度となく祓いをすると清めの力が増すとの信仰により、一万度祓・五千度祓といった御祓大麻が頒布されるようになりました。
神宮大麻を祓いのための祓具とする考えがあるのもこうした歴史的な事情に基づくものです。

こうした御師の精励により、江戸時代中期には全国の総世帯数の約九割に大麻が頒布されていたそうです。
また、各地に伊勢講と呼ばれる崇敬組織もつくられ、交通事情の発達により庶民の間でお伊勢まいりが盛んとなります。
明治時代以降、神宮に関する制度が一新され、従来の御師による大麻頒布に代わり、神宮司庁が大麻の奉製・頒布をおこなうこととなりました。
これに伴い、大麻の体栽も「天照皇大神宮」の御神号に御璽が押捺された現在の形に、また名称も「御祓大麻」から「神宮大麻」へと改称されます。

当初、実際の神宮大麻の頒布は、各府県の地方庁に委託され、区長から神職・氏子へと授与されておりましたが、大教宣布運動の行き詰まりなどにより、神宮教院、神宮奉斎会、次いで全国神職会(後の大日本神祇会)への委託へと移行していきました。
昭和二十一年、神社本庁が設立されると斯界の総意により、神社本庁が神宮大麻頒布の委託を受けて、それまでと同様に全国の神社を通じて各家庭に頒布される体勢が整えられました。