祖霊舎・霊璽・神葬祭

神葬祭について

神葬祭とは

神道(しんとう)の形式によって行われる葬儀を神葬祭(しんそうさい)といいます。
神葬祭では、人が死去(帰幽といいます)しますと神社の神職が神道の形式にて執り行います。
神道で行われる葬儀は仏式とは異なります。
仏式は故人を極楽浄土に送るための葬儀ですが、神葬祭は故人の御霊をその家にとどめて、家の守護神となってもらうための儀式です。

神葬祭では仏式のように焼香や線香を用いることはなく、これに当たるものが玉串奉奠(たまぐしほうてん)です。玉串とは榊の枝に紙垂(しで)を付けたものをいいます。
玉串を捧げたあとは二拝二拍手一拝(にはい にはくしゅ いっぱい)の作法でお参りしますが、神葬祭や五十日祭までの拍手は、音を立てないようにそっと手を合わせる忍び手にします。

神道において死とは穢(けが)れであるため、神の鎮まる聖域である神社で葬儀を行なうことはほとんどなく、故人の自宅か、別の斎場で行ないます。
しかし神道でいう「穢れ」とは、「不潔・不浄」だけを意味するものではありません。
肉親の死による悲しみ、それによって、ハツラツとした生命力が減退している状態、それこそが「気枯れ」=「けがれ」であるといわれています。

神葬祭の流れ

  1. 帰幽奉告

    家族が亡くなった場合、まず帰幽奉告(きゆうほうこく)といって神棚、祖霊舎(それいしゃ)に故人の死を奉告します。この後、神棚の前に白紙を下げます。
  2. 枕直しの儀

    遺体は白の小袖を着せて通常北枕に寝かせます。前面には祭壇を設け、お米・お塩・お水・お酒、故人の好物などを供えます。
  3. 納棺の儀

    遺体を棺に納める儀式で、棺に蓋をして白い布で覆った後、全員で拝礼します。
  4. 通夜祭および遷霊祭

    通夜祭(つやさい)は仏式の通夜に当たるものです。神職が祭詞(さいし)を奏上し、遺族は玉串を奉って拝礼します。
    遷霊祭(せんれいさい)は、故人の御霊(みたま)を霊璽(れいじ)に遷し留める儀式です。「御魂移しの儀」を執り行い、夜を象徴して部屋を暗くし、神職により遺体から霊璽へ御魂が移されます。
  5. 葬場祭

    葬場祭(そうじょうさい)は仏式の葬儀・告別式に当たります。故人に対し最後の別れを告げる、神葬祭最大の重儀です。弔辞の奉呈、弔電の奉読、神職による祭詞奏上、玉串奉奠などが行なわれます。
  6. 火葬祭

    火葬祭は遺体を火葬に付す前に、火葬場にて行なう儀式です。神職が祭詞を奏上し、遺族が玉串を奉って拝礼します。
  7. 埋葬祭

    埋葬祭は墓地に遺骨を埋葬する儀式です。昔は、火葬場から遺骨を直接墓地へ移して埋葬していましたが、最近は一度自宅へ持ち帰り忌明けの五十日祭で埋葬するケースが増えています。
  8. 帰家祭および直会

    帰家祭(きかさい)は火葬・埋葬を終えて自宅へ戻り、塩・手水で祓い清めて霊前に葬儀が滞りなく終了したことを奉告します。この後、直会(なおらい)を行ないます。
    直会とは、葬儀でお世話になった神職、世話役などの労をねぎらうため、宴を開いてもてなすことです。これによって葬儀に関する儀式はすべて終え、これより後は、霊祭(れいさい)として行なっていきます。

神棚封じ

家族が亡くなった場合、まず帰幽奉告(きゆうほうこく)といって、家族が亡くなった旨を神棚、祖霊舎に奉告します。
その後、神棚や祖霊舎の扉を閉め、白紙を張り神棚を封じます。
五十日祭までの忌中の間、お供えや拝礼はしばらく遠慮し、故人のお祀りに専念します。
神道では一般には五十日祭をもって忌明けとします。
翌日に清祓(きよはらい)を行い、神棚や祖霊舎に張った白紙をはがし、それまで遠慮してきた神棚や祖霊舎のお祀りを再開し、平常の生活に戻ります。

玉串奉奠(たまぐしほうてん)の仕方

  1. 順番がきたら前に進み、神職に一礼して玉串を受け取ります。
    玉串は右手で上から枝の根元をつまみ、左手で下から葉を支えます。このとき、左手の葉先の方が高くなるようにします。
  2. 玉串を捧げる案(机)の前へ進み、軽いおじぎをする。
  3. 胸の高さで、玉串の根元が自分の方に向くように右手を引き、葉先が祭壇に向かうようにします。
  4. さらに左手が根元、右手が葉先になるように持ち替え、右回りに回し、根元が祭壇に向かうようにします。
  5. 玉串を両手で静かに案(机)の上に置きます。
  6. 2回礼をします。(二拝)
  7. 忍び手といって、音を立てないようにそっと手を合わせる拍手を2回します。(二拍手)
  8. 最後に1回礼をします。(一拝)
  9. 再び軽いおじぎをして元の席に戻ります。

神葬祭の包みの表書き

神葬祭の参列者が持参するお包みの表書きは、「御霊前」あるいは、「御玉串料」と書きます。市販のものには、蓮の絵がついた仏式用が多いようですが、そうでないものを選びましょう。
霊祭の場合は「御玉串料」と書きます。
神職への謝礼の表書きは「御祭祀料」あるいは、「御礼」と書きます。

神葬祭の歴史

神道の形式によって行われる葬儀を神葬祭といいます。
葬儀というと一般的には仏教の専門と思われがちで、事実、仏教の形式によって行われる葬儀が大半を占めています。
しかし、神葬祭はすでに仏教伝来からあったことが、古事記や日本書紀といった古典にも記されていて、神葬祭は日本固有の葬法だったことを物語っています。

仏教伝来以降は、急速に仏教の形式による葬儀が普及していき、さらに江戸時代になると寺請制度が実施されたことから、その傾向はますます強くなりました。
そのような時世の中、国学の興隆によって国学者らによる神葬祭の研究も行われるようになり、神職とその嫡子に限って神葬祭が許可されるようにもなったのです。
明治時代になると、一般人に至るまで神葬祭が許可されるようになり、全国へ広まっていきました。

神道の死生観

神道は祖先を崇敬する信仰が基になっています。
氏族の始祖を氏神(うじがみ)として崇敬し、祖先を自分たちの守り神として崇敬します。
このように人は死後、家族や親族を見守る御霊となって祖先神の仲間入りをすると考えられます。
この、人と神の連続性は、神道の大きな特徴と言えます。

江戸時代の豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の祠官であった、中西直方は「死道百首」の中で、「日の本に生まれ出にし益人(ますびと)は神より出でて神に入るなり」と詠んでいます。
これは、祖先の神々から出たものは、やがて一生を終えると祖先の神々の所へ帰っていくのだという意味であり、この歌は実に明確に日本人の死生観を表しています。

つまり、日本人の生命は、祖先から自分へ、自分から子孫へと永遠に連続を形成するのです。 いいかえれば、これは霊魂の不滅、霊魂の引き継ぎともいえるでしょう。
そして、私ども日本人の御霊は、仏教でいうような十万億土にいくのではなく、わが家、わが郷土、わが国に留まって、祖神と共に子孫の繁栄を見守り、子孫からのお祭りを受けるのです。