伊勢神宮・全国の主な神社

神社の祭り

歳旦祭

歳旦祭(さいたんさい)とは、1月1日に宮中および全国の神社で行われる年頭の祭儀であり、全国すべての神社では初詣の参拝者で賑わいます。
この歳旦祭の神事では、新しい年のおとずれを寿ぎ、皇室の弥栄と国家の隆昌、氏子崇敬者の安泰と世界の平和、これからの1年間のご加護を祈念いたします。
一般には1月1日は歳旦祭の名称よりも「初詣」と親しまれていますが、この初詣とは本来、歳旦祭という年の「初」めのお祭りに、お「詣」りするという意味であり、新年を祝う日本人ならではの風景として大切にしなければならない神事です。

竈神

竈神(かまどがみ)は、荒神(こうじん)・三宝荒神などさまざまな呼称があり、主に竈(かまど)を中心とした各家の火を扱う場所にお祀りされる神さまです。
食物の煮炊きに用いられる竈は、通常一軒に一ヵ所であったため、竈はその家を象徴するものと考えられました。分家することを「竈をわける」などというのも、こうしたことによるものです。

竈の守りとして祀られる竈神は、単に火伏せの神としての御神格だけではなく、農作の神やその家の富や生命など生活全般を司る神として広く信仰されるようになりました。
屋内の場合、竈の近く(現在では台所など)に神棚を設けて、お神札や幣串(へいぐし)を納めて祀るのが一般的です。
竈神の具体的な御神名は、古事記に大年神の子として「奥津日子神(おきつひこのかみ)、つぎに奥津比売命(おくつひめのみこと)、またの名は大戸比売神(おおべひめのかみ)。此は諸人のもち拝(いつ)く竈神なり」とあるように、奥津日子神・奥津比売命の二柱の神、若しくは大年神を合わせた三神が竈神とされています。

節分祭

一年を二十四に分ける節気のうち四季の節目が立春・立夏・立秋・立冬です。
この中でも、特に冬(陰)から春(陽)に移り変わる立春が、節気による正月節として重視されたため、一般的には立春の前の日を節分と呼んでいます。
節気と旧の暦月では差異があり、旧暦でみると、十二月中旬から一月中旬までの時期に節分が廻ってきます。
また現行暦によると二月三日・四日がこれに当たり、この日には一年間の無病息災を祈る節分行事がおこなわれます。
この行事は、古くは中国でおこなわれていたものであり、我が国に伝来した当初は、大儺(たいな)と呼ばれていました。
文武天皇の御代(706年)に、全国で疫病が蔓延したため、宮中において初めて大儺が執行され、その後、疫病の原因と考えられた鬼(陰)を追い払うために、暦月による十二月晦日におこなわれました。
当時の大儺は、儺人(なひと)と呼ばれる役目の者が、方相氏(ほうそうし)の仮面を付け、桃の弓・葦の矢・戈といった武具を持ち、「鬼やらう」と歓呼しながら目に見えぬ鬼を追うものでしたが、やがて大儺から追儺(ついな)へと名称が変わるにつれて、本来鬼を追う儺人が、鬼のような仮面を付けていたため、逆に目に見える鬼として追われるようになりました。
室町時代以降、神社や民間でもこれに倣い、現在のように節分の日に定めて、豆を撒きながら鬼を払い、福を迎える祭事としておこなわれ、今日に伝えられています。

祈年祭

祈年祭(きねんさい)は「としごいのまつり」ともいい、毎年二月十七日に全国の神社で行われるお祭りです。
ちなみに「年」とは稲を意味し、稲穂を蒔まく季節のはじめにあたって、その豊穣(ほうじょう)を祈願するわけですから、いいかえれば人間の生命の糧(かて)を恵んでくださるようにとお祈りするお祭りといえるでしょう。
したがって、一粒の米にも神さまの御霊(みたま)が宿ると考えられているのです。
祈年祭では、稲だけでなく五穀の豊穣と国の繁栄、そして皇室の安泰や国民の幸福なども祈願されます。
この日は、宮中の賢所(かしこどころ)においても祭典が行われ、天皇が御親拝になられるということです。

初午祭

二月の最初の午の日には、全国各地の稲荷神社で初午祭(はつうまさい)が行われます。
これは、京都の伏見稲荷大社の御祭神である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が、和銅四年(711年)の二月の初めの午の日に、現在の本社の奥にそびえる三ケ峰の山上に降臨されたことにちなみます。
もともと稲荷とは稲成(いねなり)、つまり稲が成育することを意味し、五穀をつかさどる農業の神さまでした。
それがいつしか商工業や漁業など、幅広い信仰を集める神さまになっていったのです。
この日、全国各地の稲荷神社では、五穀豊穣を始めとして、家内安全や商売繁盛を祈る人たちでにぎわいます。

例祭

例祭は例大祭ともいわれ、神社で最も重要な祭典とされています。
例祭は年一回(神社によっては年二回)執り行われ、その期日には、御祭神に縁故(ゆかり)のある日、または神社の由緒と関わりのある日が選ばれますから、神社によって違います。
なお、伊勢神宮には例祭はありませんが、神宮の数ある祭典の中で最も重要とされている神嘗祭(かんなめさい)がそれに相当します。
神嘗祭は、例年十月十五日から十七日に行われ、その年に収穫した新穀を大御饌(おおみけ)として神さまに奉ります。
この日、宮中の賢所においても祭典が行われますが、戦前までは国の祝祭日となっていました。

新嘗祭

新嘗祭(にいなめさい)は「しんじょうさい」ともいい、「新」は新穀を「嘗」はご馳走を意味します。
毎年十一月二十三日に全国の神社で行われ、新穀を得たことを神さまに感謝する新嘗祭は、五穀の豊穣を祈願した二月十七日の祈年祭と相対する関係にあるお祭りで、この日、宮中では天皇が感謝をこめて新穀を神々に奉ると共に、御自らも召し上がります。
新嘗祭の起源は古く、古事記にも天照大御神が新嘗祭を行ったことが記されています。
現在では「勤労感謝の日」として、国民の祝日となっていますが、命の糧を神さまからいただくための勤労を尊び、感謝をしあうことに由来しているといわれています。

大祓

知らず知らずのうちに犯したであろう罪や過ち、心身の穢(けがれ)を祓い清めるための神事を大祓(おおはらえ)といいます。
毎年六月と十二月の二回、その月の末日に行います。
六月の大祓を「夏越しの大祓」、十二月の大祓を「年越しの大祓」ともいいます。
平安時代初期の国家の法制書、「延喜式(えんぎしき)」にも、六月と十二月の大祓が記されており、古くから行われていたことがわかります。
大祓には「形代」(紙を人の形に切り抜いたもの)に、名前と年齢を書き、さらにその形代(かたしろ)で身体を撫でて息を吹きかけます。
そうすることにより、自分の罪穢(つみけがれ)を移し、それを海や川などに流しわが身の代わりに清めてもらいます。
また、疫病や罪穢を祓う「茅の輪くぐり」も行われます。